緊縛は様式美の世界だと云われている。ある形にのっとり美を求めていく。能、歌舞伎、型の追求からの自己表現だ。だが時としてそこから離れてみたくもなる。それが今の俺である。
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元気いっぱいでスタジオに入って来たまりか。旅慣れているせいで時差ぼけはまるでない。このところ自社の写真集の写真選びで少々ばてぎみである俺。まりかの元気をもらって力を出そうと、アメリカの事情をきく。
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さくらとの撮影は2度目の桟敷の撮影です。とてもいたがりで前回は途中で拘束を緩くしてしまった。本人いわく今回は心構えをつくって痛みに耐えて臨みますからと依頼された。
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和服の着付けのようなきっちりとした縛りには魅力を感じないと云ったのは鏡堂雅画伯だ。そこには美はあっても面白みが無い。あじとはひねりだと江戸の先人は粋を誇っていた。最近の縛りをみると皆が同じような縛りを繰り返している。なぜだろう。
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とぼとぼとスタジオに向かう途中でむこうからやってくる美女がいた。なにかしらの予感で今日のモデルさんではないかと思いながらすれちがった。
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このところ2月の個展と我が社の自費出版になる写真集のためにSMセレクトなどで撮影をしたフィルムから写真を選んでいる。
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名古屋の蓬莱かすみのサロンでは毎月数回の女子会が開かれるそうだ。そんな所へ由樹が新しく加わった。
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蚊帳を蓬莱がネットで手に入れて貸してくれた。若者に蚊帳を吊らしてみると裾が畳から浮くぐらいにして吊っている、これでは蚊の入り口を作っているようなものだ。
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街の雑踏のなかにいると、生かされているという思いがわいてくる。もの哀しいが欲もある。なにが出来たのかなにをこれから創れるとかと騒音に聞いてみる。
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あかりと蓬莱との出会いは3年ほど前の三和出版の撮影であった。二人とも職業的な写真撮影は初めてのようでかなりとまどった撮影であったと記憶している。だがその時の出来映えは好評であった。
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むかしむかし鬼プロが太古八郎一座を組んでピンク映画館で映画の幕間に1時間ほどの軽演劇をしていた。脚本は団鬼六。すでに師の仕事は忙しくなるころであった。舞台稽古が迫っても台本は出来上がらない、「杉浦てきとうに書いておけ」といいのこして飲みに出かけてしまう。たとえあと数行でも師の後を書きつぐのは不可能だが、師が帰るまでに書き上げてみせると「お前の文章にはてにおはが分からん」と却下されて、最終章を自分で書きついでいた。そのように俺は書き物が苦手である。
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今のアメリカの緊縛において裁判沙汰になるようトラブルがつづいているらしい。俺も米国で<あなたの撮影でいま見たようなシーンを撮るのに、相手の許可をとっていますか>と質問されたことがある。一瞬質問の内容理解できなかったが、この国は承諾を契約のうえに成り立っている国だとおもいおこせば理解が出来た。
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