
1960年後半に俺は浅草にいてアパートは吉原に住んでいた。このアパートは赤線が廃止後に部屋はそのままアパートに仕立てた造りで6畳の部屋が10室ありもちろんトイレは共同で風呂はなしである。
このトイレにはかってここで遊んだ客の情を込めた贔屓の女郎への愛と妬みの落書きが多く残されていて当時の情緒を残していた。ある時劇場の勤めを終えて我々は踊り子を交えて6人ほどで我がアパートで飲み会を行おうとトリスの瓶を抱えて千束通りを歩いていると、前を背の高い痩せた外人が吉原の暗闇に向かって寂しそうに歩いていた。ついつい下手な英語で一緒に飲まないかと誘ってみると笑顔でついてくる。それ以後彼は我が部屋に住み着くことになる。もちろん職はないヒッピーかと思うがそのようなデカダンスな風貌でもない。初夏である。俺は北海道に向けて無線旅行を計画していた矢先であり一緒に行くかと誘ってみるとついてきた。二人は浅草の国際通りで2トントラックをヒッチハイクして盛岡の給油スタンドまでの着くことができた。盛岡は雨が降っていた。我々は浅草から盛岡までレモンを満載に積んだ荷台と共に運ばれて疲れていた。スタンドのオーナーに二人の休憩を頼むと快く2回の部屋に案内をしていただき布団さえも整えてくれた。1時間ほど爆睡した頃であったジョンの悲しげな泣き声で目を覚まされた。なぜ泣くのかを聞く<アイ ロスト カントリー>なんとなくベトナム戦争の休暇での脱走兵ではないかと思っていたから驚きもなかったが、俺には国を失うという実感が分からなかった。今回の撮影はその頃の時代背景をしたお手伝いさんの受難です。
豊満愛好家に咲和さんの若い100センチのお尻を堪能していただく掲載です。出来るだけ物語を作ったつもりですが小津安二郎の東京物語の裏ばんには及びませんでした。さてそうはもうしましても物語を説明しなければなりません。ここの主人はこのお手伝いの怠けぐさには閉口しています。いつか己の餌食にしてやろうと機会を伺っています。今日は堪忍袋の尾が切れたとばかりに襲います。今日ならば訴訟ものですが何せ世はバブル前の復興期です、色々なことに寛容であった。お手伝いさんのA感覚を刺激するのです。今の業界では女性の性器をいじるのは許されるが尻の穴をいじるのは御法度の場合が多い、だが何故か公安は許している?
ここで我はしばし昼食である。
なんとかお手伝いさんの物語を継続線とお勝手を見渡すとゴミバケツが目にとまる。これに入れて咲和の尻を魅力的に描こうとする。少々漫画にはなるがそもそも風俗綺談などにはこの様なユーモアがあったものだ。こんにちはやたらと緊張感に耽る傾向に堕ちた。誰がその様にしたのか?東京三世社の編集長の仙田氏と濡木と俺である。この3人が揃わなかったら今の緊縛の事情が違った方向にあるのかもしれない。
というような物語です。
杉浦則夫
撮影:杉浦則夫 緊縛:奈加あきら 助演:鏡堂みやび 制作:杉浦則夫写真事務所
掲載開始日 2025.11.6・13 掲載終了 2025.12.11
注意:
月額会員サイト「杉浦則夫緊縛桟敷」でのダウンロード作品の掲載期間は四週間です。
掲載終了後は姉妹サイト「緊縛桟敷キネマ館」にて販売される予定となっております。※販売時期は当分先になります。
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