第二回雲海塾 感想文 〜春原悠理〜

By 2015年12月15日緊縛コラム

 玄関の引き戸は開け放たれていましたが、ひっそりと静まりかえった日本家屋に入るのは、なんだかドキドキして足が竦むようでした。広い玄関で靴を脱ぎ、冷たい廊下を進んでゆくと、杉浦先生の声が聞こえてきました。


 そうそう、もっともっと。まだいけるか? よし!
 ライトの中にいる塚田詩織さんに声をかけながら、杉浦先生は昔とちっとも変わらないエネルギッシュな様子で、畳の上を走り回っていました。
 一鬼のこさんが塚田さんの後ろに回って縄を足していると、杉浦先生は前からウエストに縄を掛けてゆきます。前後から同時に縄を掛けられるなんて、なんて贅沢なんでしょう。息をつぐのも難しいくらい緊張しているのでは、と思っていると、塚田さんは平常心を失わずにユルく応えます。
「あー、あとちょっとならへいき~」
 ほんの少し遅れて会場入りしたわたしは、その様子に驚きました。それはなんというか、「特別な感じ」が全然しなかったからです。日常の延長のような、いや、むしろ日常茶飯事の只中にいるような塚田さんの反応は、写真から受けるイメージとは違い、健康的で明るい現代女性そのものでした。それは緊縛にまつわる陰惨とか凄惨とかの言葉が似合わない、まだ多くの人がプレイするほど一般的でない新しいスポーツを見ているようで、「人に知られたくないもの」だった、SM・緊縛とは別物のような輝きがありました。
 鬼のこさんは、杉浦先生の細かい注文に応えながらきびきびと縄を足し、塚田さんのポーズを変えてゆきます。杉浦先生が畳の上を走る音と、塚田さんに掛ける声。それはストロボの明滅とゆるゆる混じり、異様で特殊な空気を作り出します。息を詰めて見ているだけなのに、手のひらがじっとり汗ばむような緊張感。ほんの少しも見逃したくなくて、呼吸をするのさえ忘れてしまうほど集中します。
 厳しい逆さ吊りでは塚田さんの足首が小刻みに揺れ、太腿にも麻縄がきつく食い込んで、とても痛かっただろうと思います。でも「もうちょっとならいける」と力強く応える塚田さんは、21歳という実年齢よりもずっと大人に見えました。まるで冬瓜のように大きな乳房は、その根元を縛られると充血して怖いような色に変わります。柔らかく大きな乳房を麻縄で縦に割ると、二本の縄の間からのぞく小さな乳首が綺麗でした。
「撮影鑑賞会」と「緊縛撮影会」は、塚田詩織さんをモデルに熱気と熱狂のなかで行われました。
 他の三人のモデルさんたちは、それぞれ若く可愛らしい人たちでした。「緊縛美研究会」と「縛りの体験」に出演した彼女たちは、緊縛指導の方との息もぴったりで、参加者の要望に応えながら和気藹々とした雰囲気の中で縄を受けていました。初めて縄を持ったという方も多く、一本しか使うことができない中でも、ゆっくりと親切な指導で基本の後ろ手をマスターされていきました。
 全体的な感想としては、みなさん楽しまれていた、モデルも緊縛師もスタッフも、みんな一生懸命やっていた、しっとり和風のバーレスクを演じてくれたゲストさん、グランドフィナーレに緊張感みなぎる緊縛とスパンキングを見せてくれた方。本当に大勢の人で一杯になった大きなスタジオの中で、それぞれが楽しめたイベントだったと思います。

感想文2「昭和の緊縛」と「現代の緊縛」

 感想文を書くのは苦手ですが、杉浦先生から「昭和のモデルに焦点を合わせてくれ」と依頼されました。雲海塾には「昭和のモデル」なんて出演していないのに、なにを書けばいいの……? とこうして書き始めた今も迷っています。「昭和のモデル」どころか、主演の塚田詩織さんは21歳ですから、とっくに平成になってから生まれたモデルです。他の三人のモデルも、みんな若くて可愛らしい人たちでした。
 昭和から平成に変わったからと言って、線を引いたように女性たちの様子が変わるわけではありません。でも、なぜか「昭和のモデル」と表現される。ずっと続けているとわからなくても、少しずつ少しずつ、彼女たちは変わり続けているのですね。
 わたしが緊縛モデルをしていた昭和の終わり頃は、今のモデルたちにはない雰囲気の人がたくさんいました。「今のモデルたちにない」というのは、きっと現代では必要ない部分なのかもしれません。
 SM雑誌がまだたくさん発行されていたあの頃、SM・緊縛のモデルは「単体落ち」といわれる、SMではないヌードの仕事をさんざんこなして、もうSMの仕事しか来なくなった人や、単体のグラビアに登場するには容姿がいまひとつ……という、モデルとしてはちょっと残念な人がする仕事だったのです。あとは、本当に縄が好きな女の子。前者のような女の子たちは当然業界に長くいるので、年齢もある程度で、大人でした。長くやってきたから、良いことも嫌なこともたくさん経験し、だからその分謙虚だったり優しかったり、気配りができたりと、女性らしい包容力が身についていたように思います。女性を縛り、痛めつけたいという男性を「許す」ことができたのです。だから縛る側もある意味安心してやれたし、モデルに甘えることも出来た。縛る人、縛られる人、カメラマン、編集者、みなそれぞれが相手を思いやり、目の前で縛られているモデルの、今まで過ごして来た時間に思いを馳せることが出来たのだと思います。
 そして彼女たちは、みんな「自分だけの世界」を持っていました。縛られ、吊られ、責められる。そのさなかに意識を飛ばし、自分だけの殻にこもり、その世界に浸る。モデリングランプだけが灯った薄暗いスタジオで、身動きできないどころか、呼吸もままならないほどにきつく縛られ、それでも頭の中はどこまでも自由に、好きなことを妄想することが出来たのです。
 なぜ縛りたいのか、なぜ縛られたいのか。「昭和の緊縛」と「現代の緊縛」では、その表現も目的も、微妙に、いえ、ずいぶん違うような気がします。
 寂しいから縛られたい。でも、縛られるともっと寂しくなる。自分の脆い殻の中にあるのは、きっと、すでに取り返しのつかないことだったり、自分で壊してしまったり、棄ててしまったりしたものかもしれません。どんなに焦がれても望んでも、もう決して触れることの出来ない、手に入れることの出来ないものたち。それらを想い、深ーく静かに狂ってゆく。昭和のモデルにとって、縛られるとはそういうことだったのかもしれません。日常では決してない、特別なこと。
 人には言えない、知られてはいけない趣味。後ろめたさと罪悪感、強いコンプレックスは逆に特権意識として胸の中に君臨する。女性を縛りたいという昭和の男性には、こんなことがあるのかもしれません。
 いま書いていて気づきました。「昭和のモデル」と同様「昭和の緊縛マニア」も、きっともういなくなってしまったのですね。ただ、わたしたちは本当にもうモデルは出来ないけれど、緊縛マニアの男性たちは、昭和からずっと続けている方もいる。でも、求めているのは昔とは違うカタチの何かなのかもしれません。

 雲海塾には、そういう意味で無限の可能性があります。次回開催されるときには、是非もっともっとたくさんの緊縛美をご堪能くださいませ。

スポットライト|春原悠理|人物紹介

1件のコメント

  • sam(samel) Aoki より:

    昭和の緊縛マニア、もうすぐ80に手が届く歳で、40年近く縄に馴染んできた自分は、他の方からどのように云われるかはともかく。昭和の緊縛マニアだと思っております。寿安画伯の縛り画が好きでして、色々集めたりしました。男と女が縄を通じて会話する。貴女の仰るように本当の会話ではないのかもしれませんが、ただ、少なくとも女がある意味で安心して、縛ってもらって、自分の世界に入り込める、男はその女を前に自分の妄想を満足させる、事ができれば善いのではないかなと思います。其の中で常に二人の世界の幅をひろげることができれば更に善い。
    知られるとまずい、すこし日陰の性癖、これを了解し合った男と女の付き合いは素晴らしいと思いますね。
    最近、日陰の要素がすこし薄れたことが原因でしょうかわけも分からず、私ドM等と言っている若い美人さんを見るにつけ昭和が終わったと思うのかもしれません。
    自分も一度杉浦師の会に参加しようと思いましたが決心がつかず、見送りました。どうしても密室の中での秘め事のからが破れませんでした。

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